2025/08/24 16:57

もう10年近く前、ドイツに渡ったときのこと。


お金もない、仕事もない、知り合いもいない。
そんな中で先が見えない不安な気持ちを抱えながら毎日を過ごしていました。

そんな中でも消えなかったのが「静かにお茶を飲む時間をつくりたい」という想い。


日本を出る前に最後に働いていたのは櫻井焙茶研究所(さくらいばいさけんきゅうじょ)という表参道にある小さな茶寮でした。
もともと店のお客さんだったわたしは、お茶とお茶の時間に魅せられ、働かせてくれないかとお願いし、
毎日、早番として入り、オープン前の掃除や販売用のお茶作り、茶葉販売の接客をしていました。

茶房でお茶を入れるのはフルタイムで働いているメンバーの役割。
アルバイトのわたしはスタンディングのお茶を淹れるか、茶房が忙しいときに呈茶(お茶をふるまうプロセス)のサポートをしていましたが
何かの折には自分でもお茶を淹れることができるよう、お客さんがいないときには茶房に座り、お茶を淹れる練習をしていました。


緊張した面持ちで入ってきたお客さんが、茶葉を選び、香りを聞き、そして、お茶を味わったあとに「ふーっ」と安心したように息を吐く。
最後には背筋がすっと伸びて、ほがらかな顔で店を出ていく。

そんな様子を見るのが大好きで、いつもその日訪れるお客さんのことを想って支度をし、お花を生けていました。

*こちらは茶房ではなくイベントのお手伝いをしたときに撮っていただいたもの。「お茶を淹れているフリ」をしています笑


大好きな仕事だったけれど、「いつか海外で暮らしたい」という想いを捨てきれず、
やってきたチャンスを無理やり掴んで日本を飛び出しました。


真っ暗なトンネルの中にいるような毎日の中、少しでも光を求めて、お茶やさんを訪ねて歩きました。

ドイツはハーブが暮らしの近くにあることから薬局でも気軽にハーブティーが買えて、
いろいろな種類のブレンドティーが買えるお茶屋さんもあったけれど、
座って静かにお茶を飲める場所はありませんでした。


そんな中で訪れたのが小さな街にある、小さなお茶屋さん。

迎えてくれたのはアジア系の女性でした。

わたしを見た彼女はすぐに店の奥にあるお茶を飲むスペースに座ることを促し、お茶を淹れ始めてくれました。

日本から来たこと、お茶が好きなことを、拙い英語で話し、
彼女も中国から来たことを、ゆっくりと英語で話してくれました。

中国語とドイツ語が堪能な彼女と、日本語と簡単な英語を話すわたし。

もしかするとお互い黙っていた時間の方が長かったかもしれないけれど、
お互いにお茶が好きで、お茶の時間を愛していることは伝わっていました。

ひとしきりお茶を飲むと、彼女は昼ごはんを食べるかと聞いてきました。
店の裏に小さなキッチンがあって、いつもそこで昼ごはんをつくっているというのです。
一緒に簡単なごはんを食べた後は、店の裏のやはり小さな畳のスペースで横になって昼寝をすることをすすめてきました。


わたしはきっと、疲れていたのでしょう。

彼女もきっと、わたしが疲れていることを感じたのでしょう。

30分ほどなのか、もっとなのか、とにかくなんだかすっと楽になった状態で目覚めて、店に出ていくと、
彼女はまたお茶を淹れてくれました。


その日以来、たびたび彼女の店に足を運びました。

訪れるといつも彼女はお茶を淹れてくれて、わたしたちはお茶のこと、家族のことなど、好きな作家のことなどいろいろな話をしました。

中国のお茶は何回もお湯を淹れて飲むことができ、わたしの湯呑みが空くたびに彼女はお茶を注いでくれました。

いつもなけなしのお金を握りしめて行ったけど、彼女がお茶代を受け取ることは一度もありませんでした。






「わたしはここにいていいのだろうか」

わたしたちはいつも心のどこかにそんな気持ちを抱えているような気がします。

「ここにいていいんだ」と、自分を安心させたくて、そこにいる意味や価値を認めてもらおうと一生懸命がんばっている。

でも、何かをするほど、何かを手に入れた自分になるほど、そのままの自分でいていいと思えなくなる。





静かにお茶を淹れて、一緒に味わう。

それは「ここにいていいんだよ」と言ってもらっているのと同じことなのかもしれません。

誰かにお茶を淹れてもらって、何度も淹れてもらって、
そうやっていつしか自分で自分に「ここにいていいんだよ」と言えるようになる。




そうやって今のわたしがあります。







ひとりで飲むお茶は、自分自身をねぎらい、「ここにいていいんだよ」と自分に伝えるために。

大切な人と飲むお茶は、そこにある時間を一緒に味わうために。




「いつか、世界の片隅に、静かにお茶を飲める場所をつくりたい」という夢がささやかな形で叶った今、
「ここにいていいんだ」と感じられる時間が日常の中に溶けていくことを願って、
日々静かにお茶を淹れています。


*彼女のお店で日本茶のワークショップも開催させてくれただけでなく、終了後、ゲストの参加費を全てそっと渡してくれました。
 大袈裟ではなく本当に彼女とあのときのお茶の時間のおかげで孤独で不安なときを乗り越えることができました。